2人目妊娠中にまさかの切迫早産!入院が必要?子宮頚管無力症とは?
2019年08月10日
上の子が1歳をすぎそろそろ2人目が欲しいなと思っていたところ運良く妊娠する事ができました。
初めての妊娠中はなんの問題も起こることなく、予定日から1日遅れて無事に出産しました。
なので今回も大きな不安なく妊娠生活を送っていました。
しかし2人目妊娠中に切迫早産で入院になってしまいます。
今回は私がなった子宮頚管無力症についてお伝えしたいと思います。
妊娠5ヶ月の妊婦検診で子宮頚管が短めと言われる
2人目はつわりも軽く、無事に安定期に入ることができました。
安定期に入ったこともあり、不安事も特になくいつも通り妊婦検診に向かいました。
待合室で待っている間はエコーを見るのを楽しみにしていました。
この日は子宮頚管を計るということで内診もありました。
内診中にお医者さんがエコーで測っていたのですが何度も繰り返すので不思議に思っていました。
するとそこでお医者さんから「子宮頚管が短めだね…」と言われます。
恥ずかしいことに2人目にも関わらず、短いとなにか良くないのか私にはわかりませんでした。
しかしお医者さんの雰囲気からあまりいい事ではないのだろうと察し、多少の不安が芽生えたまま面談室に移りました。
子宮頚管が短いとどうなるのか
妊娠していないときの子宮頚管の長さは個人で違います。
子宮頚管は妊娠して赤ちゃんが大きくなっていくにつれ、赤ちゃんの重さも加わりだんだん短くなる事があるそうです。
産まれる時には子宮頚管はくっついていないので長さは0mmということになります。
陣痛がくるまではある程度の長さは維持していた方がいいみたいですが、逆に陣痛が来ているのになかなか短くならずに難産になる事もあるようです。
つまり、子宮頚管が短くなってくると陣痛がきて産まれてしまうリスクが高くなるということです。
この時の私はまだ妊娠5ヶ月になったばかりなので、当然産まれてしまっては困ります。
安静にしているのがいいようですが、上の子が保育園には通っておらず家で面倒を見ていました。
この状況で安静にするのは難しいですが外出は控えるようにしました。
また私が通っていた産婦人科では子宮頚管の長さが3mm以下になると入院を勧めるようでした。
これは病院によって様々ですがだいたい3mm前後で入院する事が多いようです。
この日の私の検診では3.2mmだったのでギリギリ入院は免れましたが、次の検診では入院になるかもと怖く思ったことを覚えています。
妊娠7ヶ月でついに入院
5ヶ月の妊婦検診で子宮頚管が短めと言われたので、検診後は外出を控えなるべく休むようにしていました。
ご飯作りや洗濯などの家事は毎日行っていましたが、長女と遊ぶのも外遊びなどはせずにお絵描きやおままごとを一緒にしていました。
妊娠7ヶ月の妊婦検診はドキドキしながら内診をしてもらいました。
するとなんと子宮頚管が1,9mmまで短くなってしまっていました。
そこでお医者さんからは入院を勧められました。
しかし子宮頚管が短かすぎて私の通っていた個人病院より大きい病院に行った方がいいと言われます。
移動してしまうと家からも遠くなりますし、何より子どもと面会できなくなってしまうので、このままこの病院でとお願いしました。
翌朝の診察でさらに短く!
個人病院で入院できるか翌朝もう一度診察してみようと言われていたので朝一で内診してもらいました。
するとなんと子宮頚管は1.3mmまでみじかくなっていたのです。
お医者さんは「これは多分子宮頚管無力症だから手術が必要だ」と言いました。
わたしは子宮頚管無力症がどんなものかも知りませんでしたし、とにかく不安なまま県で一番大きな病院に緊急搬送されました。
長女に説明するまもなく、ちゃんとお別れもできないまま1ヶ月におよぶ入院生活が始まったのです。
子宮頚管無力症とは?手術になることも
総合病院に搬送されてすぐに診察が始まりました。
子宮頚管は短いものの今すぐに生まれてしまうわけではないから大丈夫と言われてMFICUという母子集中治療室に入院になりました。
切迫早産の場合、通常はお腹が張ることにより子宮頚管が短くなってしまうので、張りどめの点滴をして寝たきりの入院になります。
しかし子宮頚管無力症だとお腹が張ることなくどんどん短くなってしまうのだそうです。
実際私はお腹が張っているという自覚症状もありませんでしたし、ノンストレステストというお腹の張りを調べる機械を使ってもまったく張っていませんでした。
おなかが張っていないので張りどめの点滴はほとんど意味がありません。
子宮頚管無力症の場合に有効なのが手術です。
子宮頚管無力症の場合、妊娠4,5ヶ月の時にシロッカー手術という子宮頚管を縛る手術をするのが一般的な対処法だそうです。
しかし私はその時すでに妊娠7ヶ月を過ぎていました。
子宮も大きくなりお腹が出ていると、手術をする事によりおなかが張りやすくなってしまったり、手術の刺激で破水や陣痛が起こってしまう可能性が高くなってしまうという事で1週間様子見になりました。
入院1週間後に手術決定
入院中にお腹が張ることはほとんどなかったため、手術のリスクも低いだろうということで手術する事にしました。
もしこの時手術が出来なければ36週になるまで3ヶ月程の入院になってしまうとこだったので本当によかったです。
仮にこれが初めての妊娠なら、リスクのある手術をするより長期入院で安静にしている方がよかったかもしれません。
しかしこの時は長女とまったく会うことも出来ていませんでした。
まだお話も出来なかったので電話も出来ませんでした。
赤ちゃんがどうなるかという不安と共に、長女はどうしているだろうという不安もありました。
入院当時1歳6ヶ月だった娘は私のことを忘れてしまうのではないかと悲しくなったことを覚えています。
なので手術して落ち着けば、家に帰って長女と過ごす事が出来るようになることがとても嬉しかったです。
手術当日の予定
手術はお昼頃に開始予定でした。
手術中に何があるかわからないので、入院している部屋に親族の方が待機してくださいと言われていたので主人に休みを取ってきてもらいました。
下半身麻酔を使っての手術のため、朝から絶食でした。
緊張していたからかお腹はすきませんでした。
手術中は意識はありお医者さんの話し声などは聞こえました。
看護婦さんやお医者さんが声掛けをしてくれて無事に手術は終わりました。
最初の麻酔をする時が結構痛かったですが、その後は痛みを感じることもありませんでした。
手術後は血栓予防のために足に着圧ソックスとマッサージ機が付けられました。
トイレに行くこともできないためカテーテルも入っていました。
麻酔のため自分ではわかりませんでしたが手術直後はかなりお腹が張っていたみたいで、張りどめの点滴も開始しました。
その日は1日絶食でベットを起こすことも禁止されていたため寝たきりで過ごしました。
足のマッサージ機が気になって夜もぐっすり寝ることはできませんでした。
無事に手術終了
手術の翌朝に内診がありました。
手術は無事に成功し子宮頚管2.5cm程のところで縛れたとの事でした。
しかしまだ張りが強く出血もあったためにカテーテルを抜くことは出来ずに、足のマッサージ機ももう一日付けておくことになりました。
手術2日後の朝の内診でカテーテルを抜くことになり、マッサージ機も外れました。
開放感がすごく、とてもすっきりしました。
しかしずっとつけっぱなしだったので足がかぶれてしまい痒くて薬を塗ることになりました。
出血はだいぶ収まりおりもの用のシートでたりるくらいでした。
張りも収まってきて出血もほとんどなくなりましたがシャワーはまだ禁止のため看護婦さんが髪を洗ってくれました。
冬場だったので汗はかきませんが早くシャワーを浴びたかったです。
シャワーOKが出たのは手術の3日後でした。
手術後はまだ歩行は許可されずに最初に入院になったMFICUからでることはできません。
ついに大部屋に移動
手術から2週間たちやっとお腹の張りがなくなってきました。
日に何度か張る程度になり、張りどめの点滴もかなり少なくなりました。
点滴は寝る時もシャワーの時も付けているので結構大変でした。
このときついたあざは2,3ヶ月は残っていました。
様態も落ち着いたため大部屋に移動する事になりました。
運良く窓際のベットになったので外を見て気分転換する事ができました。
大部屋に移動出来たのでこのまま順調にいけば退院も可能です。
やっと退院が視野に入りとても嬉しかったです。
しかしもう3週間も娘にあっていません。
体調が落ち着いたのと同時に娘に会いたい気持ちがより大きくなり、夜中に1人で泣くことが増えました。
主人に毎日娘の写真を送ってもらっていたのですが1日に写真を何度も見て過ごしていました。
お医者さんに娘に会いたいと伝えても「ごめんね」と言われるだけで一切面会できませんでした。
新生児がいるため病棟内に子どもは立ち入り禁止だったのです。
順調に退院が決定!
大部屋に移ってから1週間後の内診で張りどめの点滴を外すことになりました。
ずっとつけっぱなしだったので嬉しさと大丈夫かなという不安が入り交じっていました。
点滴を外した日は大部屋内にあるトイレまで歩くのも怖くて恐る恐るでした。
しかし怖いほどに順調で、点滴を外した日もお腹の張りは増えることなく3,4日で退院できるかもと急遽退院の話がでました。
点滴を外してから3日間張りどめの飲み薬のみで大丈夫だったため、主人の休みに合わせて退院が決定しました。
この時は嬉しすぎて先生に笑われるほどはしゃいでしまいました。
とにかく娘に会いたかったのです。
1ヶ月振りに帰宅
退院の日は朝お医者さんから私と主人に退院後の生活について説明がありました。
手術はしたものの安静にしていなければいけないとのことで、外出は必要最低限にし家事も無理のない範囲でと言われました。
退院する時は予定日まであと2ヶ月半あったのでまだまだ産まれては困る時期です。
退院の許可が出たもののまだまだ安静が必要です。
病院を出て1ヶ月ぶりに外の空気を吸うとやっと家に帰れると実感が湧きました。
しかしうれしい反面、娘は私の事を覚えているかと不安で怖かったです。
家に着くと入院中に娘の面倒を見てくれていた義母と義父が出迎えてくれました。
その時娘は私の近くまで来ましたが見たことないような険しい顔をしていました。
とても怒っていて抱っこをせがんでくるのに顔は怒っているという複雑さが滲み出た行動をしていました。
とりあえず忘れられてなさそうでホッとしました。
1ヶ月ぶりに見る娘はまだまだ小さくて、こんなに幼い子を1ヶ月も放っておいたのかと悲しくなりました。
退院後ついに出産
退院後も娘の世話をしながらもなるべく安静にして横になる時間を多く取るようにしました。
普通の妊婦より検診は頻繁で週一で病院に通っていました。
入院中よりは子宮頚管は短くなりましたが2cmあたりをキープしたまま36週を迎えることができました。
36週になり元の個人病院で受け入れ可能になり病院も近所の個人病院に戻りました。
シロッカー手術では溶ける糸を使用したのですがこの頃にはまだ残っているもののだいぶ弱くなっていたようです。
陣痛がくれば切れるから糸を切る手術はなしになりました。
なんとその後何もなく予定日を迎えることになります。
こんな思いをしたので36週過ぎたらすぐ産まれるかと思っていたのですが、結局産まれたのは予定日から2日後のことでした。
結局は赤ちゃんのタイミング
早く産まれてしまうかもと不安になり、手術もしましたが産まれたのは結局予定日から2日後とゆっくりでした。
お医者さんはこればかりは赤ちゃんのタイミングだからねと笑っていました。
手術をしなくても予定日まで持ったかはわかりません。
どうなるかは結局のところお医者さんにもわからないのです。
妊娠や出産は1人1人違います。
私は今回手術してよかったと思っています。
こうして手術した事で予定日までお腹にいてくれたのかもしれませんし、長女と過ごすこともできました。
また手術が成功したことで安心感も得ることができました。
切迫早産と言われると、とにかく産まれてしまっては困ると不安な日々を送ることになります。
その不安な気持ちがだいぶ軽くなったことは私にとってプラスでした。
もしまた妊娠することがあれば最初からシロッカー手術をお願いしようと思っています。
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