子供の教育とは?~子育ての中で必要な教育のこと~

1 子供にとっての教育とは
 
「教育」ときいたら何を思い浮かべるでしょうか。
公立私立学校へ通うことや幼稚園保育園へ通うこと、英語やピアノなどの学校教育以外の要素を学ぶための習い事、中学・高校受験のためや学校の授業を補うための塾通い、スイミングやダンスに空手など体を鍛えるものまで様々なものが浮かびます。
多くの人は義務教育の意味を「子供は教育を受ける義務がある」と思っているのではないでしょうか。このことが学校に行かなければならないとか、勉強をしなければならないという価値観につながっているように思います。実は教育基本法では、「国民は子供に教育を受けさせる義務を負う」とあります。つまり子供自身に教育を受ける義務があるのではなく、親又は子供を保護・保育するものが子供に教育を受けさせる義務を負っているのです。義務の持ち主は子供ではなく保護する大人である。この義務の持ち主の捉え違いが「教育」という言葉のイメージを左右しているのではないでしょうか。

2 教育の意味

では本当に必要な教育とはなんなのでしょうか。
多くの辞書には、教育とは教え育てること。人間に内在する素質・能力を発展させ助長する働きかけのことをいう、とあります。つまり、人が本来持つ可能性を見出し伸ばしていくことであり、型を教えて枠にはめ込むことではないと解釈できます。
世間や社会に出たときに困らないように教えておくことのほとんどは「しつけ」とよばれるものです。例えば、箸の持ち方を教えること、家に入るときは靴を脱ぐことなどは、生まれた環境がたまたまそういう文化を持つ環境だったために、そこに適応させるために必要と感じて教え込むことといえるでしょう。
人によっては、電車の中では騒がない、約束した時間は守るということを厳しく教えることもあるかもしれません。
それは実は教育・しつけではなく、自分の価値観の押しつけでしかないとしたら…。
人に迷惑をかけないことは正しい、人との約束は絶対に守るべきだ、という一個人の考えを子供にも強制させているだけなのかもしれません。
人に迷惑をかけない、約束を守ることが正しくないというつもりはありません。
子供に対する一つ一つの言動を疑問に感じてみることで、自分の価値観の囚われや執着に気づくことができるかもしれません。

3 可能性を導く

では子供の本来持つ可能性を導くためにできることとはなんでしょうか。
たくさんの習い事を経験させること、知識を教え込むことも一つの方法かもしれません。
でもそこに本人の前向きな意志がなければ、なに一つ身に付くことなく終わってしまうことも考えられます。
ここで大事なのは、本人がやりたいと意志表示したときに寄り添ってあげられることではないでしょうか。選択肢を奪うことでも強制することでもなく、自発的意志が芽生えるのを待つ。それはときには親自身が焦ってしまったり、戸惑ってしまうこともあるかもしれません。いつ芽が出るのかわからないのに水を与え、見守り続けることは、ときに親自身が自分と向き合う必要も出てくるでしょう。自分がしてもらったように自分の子供にも与えてあげたくなるかもしれません。自分が子供時代にされなかったこと、して欲しかったことをしてあげたくなるかもしれません。そのときそのときに必要かどうかを見極めて接していく必要があるのではないかと思います。
子供たちは自分で考える力があります。自分とは違う意志を持った一人の人間であると尊重すること。「子供だから」ではなく、一人の人間としての立場から想像することができると良いのかもしれません。
子供を信頼して見守ること。この子には未来を切り開く力がある、必ず芽が出て花開くと信じることが何よりも大切です。

まとめ

例えば大人でも一人ひとり出来ることは違うし、出来ないことだってあります。それは子供たちだって同じで、出来ることも出来ないこともあってもいい。みんな違っていいんだ、とお互いに認めることができれば、それが多様性を認めることにつながります。
他者の多様性を認め、自分自身も認められれば、自ずと自己肯定感は育まれていくでしょう。生きていくうえで必要な自己肯定感を削ぐことなく、自分の力を信じることができるようになることが子育てをする中で必要なことだといえるのではないでしょうか。
未来を決めるのは、子供たち自身なのですから。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする